研究現場の最前線:新型コロナウイルス(COVID-19)との戦いを陰で支える戦士たち

Albert Einstein College of Medicine(ニューヨーク市)の分子細胞遺伝学コアラボでは、研究者の新規採用に当たって所長のJidong Shan博士が同ラボならではのある重要方針を採用候補者に確認しているそうです。

それは「仕事のためではなく、愛のために研究に取り組む」ということです。

当のShan博士も、同コアラボ所長として、このモットーを掲げて遺伝子研究に取り組んできましたが、2020年春、このモットーが特別な意味を持つことになります。COVID-19対応に駆り出され、パンデミックの最前線で戦うことになったからです。

突然の招集

3月にニューヨーク市がCOVID-19の感染拡大に見舞われたことから、同大学はコアラボで進行していたプロジェクトの一時中断を決定しました。しかし、それもつかの間のことでした。1カ月もしないうちにニューヨーク市経済開発公社から同大学経営陣に、液体のウイルス輸送用培地(VTM)の開発を支援してほしいという打診がありました。これは、COVID-19検査キットの鼻腔用綿棒で採取したウイルス検体の保存・輸送に使われるものです。要請を受けた大学のリーダーシップチームは、このプロジェクトに当たる最有力候補としてShan博士らを選定しました。

とはいえ、このチームにVTM開発経験は皆無でした。基本的にコアラボは、同大学で遺伝子研究に従事する研究者向けにツール類の提供や細胞検体の準備を手がけています。それでも同チームは、この支援要請に応えることにしました。このプロジェクトに合わせたワークフローやスタッフを揃え、ラボスペースも専用に確保したうえで、作業が始まりました。当初は週に10,000本体制でVTMの作製に取りかかりました。やがて週50,000本体制に。ついには週100,000本体制が確立しました。

「ただただ手助けをしたい一心でした。」と言うShan博士は次のように付け加えます。「私たちの研究の経歴を考えれば、いい結果を出せるという手応えはあったので、要請を受け入れ、数々の障壁を乗り越えてきました。」

こうした壁を乗り越えるためには、研究領域を切り替えつつ、新型コロナウイルスのプロトコールや注意事項を守りながら前進しなければなりません。必須事項のチェックリストを1つひとつ確認しながら作業を進めました。例えば、ソーシャルディスタンス確保のために、研究所の大きなスペースに作業の場を移しました。勤務時間も延長し、夜間や週末も作業に当たりました。サプライチェーンの新たな選択肢も検討しました。製造量の拡大に向けて、防護服やロボット設備も追加投入しました。Shan博士は、研究所がフル稼働の工場に一変したと振り返ります。

そしてあらゆる業務を一手に担うまでになりました。材料の作製はもちろん、出荷・追跡業務も手がけ、さらに新たなリクエストにも対応するまでになりました。

「本当にチームワークの勝利です。施設管理スタッフには数え切れないほど大量の荷物を運んでもらいましたし、荷受け、調達、エンジニアリングなどの作業も支援してもらいつつ、研究環境の無菌状態も維持する必要がありました。こういう支援や組織的な取り組みがなければ実現しませんでした。」とShan博士は言います。

VTM作製に伴う物流面の作業を考えると、人員確保が大きな課題となりました。どうやらパンデミックは夏以降も続くと悟った瞬間、あくまで臨時だったはずの仕事は本業に変わりました。そこで医学生を雇い、グループ分けしてローテーションを組み、一定期間ごとに作業を担当してもらう体制を整えました。

「当初はいったいいつまでこの状態が続くのか見当もつきませんでした。みんな4週間とか6週間くらいだと思っていました。でも7カ月経っても、私たちが製造する量は変わることはありませんでした。」とShan博士は話しています。

疲労との戦い

同ラボが送り出したVTMチューブは150万本に上ります。このうち110万本がニューヨーク市内のおよそ20の病院に供給されたほか、Einstein系列の病院システムであるMontefiore Health Systemに40万本が供給されました。2020年の11月16日、ようやく製造は終了しました。夜も満足に眠れない長時間シフト体制で、多くの研究者が燃え尽き症候群の寸前まで追い詰められたものの、全員がプロジェクトを最後までやり抜くという思いで成し遂げたと、Shan博士は話します。そもそもの目的があまりに重要すぎて、逃げ出すわけにはいきませんでした。

同チームのがんばりがあったからこそ、ニューヨークで100万人を超える市民が検査を受けることができたのです。本来、これだけの規模の検査をまかなえなかったとしても決して不思議ではありません。この一つひとつの検査がCOVID-19の感染拡大を抑えるうえで、重要な役割を担っています。

「全員、疲れ切っていました。それでも、これがこの街で必要とされている、近隣の住民に必要とされているのだと実感すると、疲労が極限に達していても何とか助けになりたい一心で期待に応えられるんです。」とShan博士は言います。

世界中の研究所で働く人々の多くが、こういったモチベーションに駆り立てられて取り組んでいます。COVID-19感染者数の増加が止まらない中、同ラボの研究者の中には大切な家族が陽性になってしまった人もいます。あるいは研究者自らが陽性になるケースもありました。ラボと病院の間を行き来している医学生は、今回の取り組みの成果を間近に見届けている、とShan博士は述べています。

「実際、彼らはCOVID-19感染患者とじかに接しています。感染に苦しんでいる多くの患者と向き合い、その様子を私たちにも伝えてくれます。そういう現場の話を聞くことも、目の前の重要な仕事に対するモチベーションにつながっています。」とShan博士は話しています。

その瞬間を忘れない

最前線で戦っていると、パンデミック収束後の世界に思いを馳せる余裕はありません。Shan博士自身は、感謝の気持ちの方が大きいと言います。

「感謝の気持ちでいっぱいです。このような機会が訪れ、私が引き受けたわけですが、今後、後悔することはありえません。私だけでなく、チーム全員が選んだことです。COVID-19との戦いで、同胞を助けようとみんなが立ち上がったのです。」とShan博士は述べています。

これは愛という一言に尽きます。正しい行いへの愛であり、科学への愛なのです。両者は決して相容れない関係ではありません。

「科学は非常に重要です。COVID-19の科学的知見が増えれば、状況ははるかによくなります。しかし、スピードも重視しなければなりません。私がこの道に入ったころは、実験の成果が臨床に反映されるまでに20年くらいかかっていました。今後、ますます多くの若い世代が大きな関心を寄せるようになれば、こうした世代とともに、研究から臨床までの期間をもっと短縮できるはずだと期待しています。」とShan博士は言います。