ヒト組織チップの魅力を語る

浮遊細胞に始まり、2D培養、3D培養、さらには培養ディッシュ上に患者を再現する「Patient in a dish」のシステムに至るまで、セルベースアッセイの採用には、それなりに大きな覚悟が必要だとKacey Ronaldson-Bouchard博士は指摘します。しかし、その努力はさまざまな面で報われます。

ヒトの生物学にはまだ解明されていない部分が残っており、人体実験ができないことを考えれば、ヒト疾患のin vitroモデルの必要性は明らかです。理想となるのは、疾患の原因や進行を正確に再現し、治療への反応を予測し、患者特異的または種特異的なテストプラットフォームとなるようなシステムです。従来、前臨床試験は動物モデルに依存してきましたが、現在はセルベースアッセイがますます多くの役割を担うようになっています。この流れで言えば、アッセイのプラットフォームは、複雑さと機能性が向上し、in vitro系とin vivo系の類似性が高まります。

セルベースアッセイの生理学的関連性が確保されていれば、2D培養は最も簡単なうえ、依然として最も広く使われている手法です。次いで多細胞の3Dスフェロイドやオルガノイドが利用されています。将来的には、本稿のタイトルにもある組織チップや、まだ開発の緒についたばかりのヒト生体システム全体をチップ上に再現した「human-on-chip」プラットフォームもあります。

高次元へ

接着細胞の2D培養は容易に実現できますが、生体組織の細胞に影響を与える化学的、力学的、生理学的な因子までは再現できません。特に、細胞の分化、増殖、活性、遺伝子・タンパク質の発現、刺激反応、薬物代謝の原因となる細胞間や細胞・細胞外の相互作用が欠けています。

3D細胞培養では、正常状態と疾患状態で細胞が経験するin vivoの化学的、力学的、生物学的条件が再現されるため、セルベースアッセイの生理学的な関連性が深まります。患者由来の細胞から培養した場合、スフェロイドやオルガノイドは、既存薬・実験薬に対する有効性・毒性反応も含め、患者のゲノム情報も取り込まれます。したがって、3D培養は、標準化された治療法と個別化医療の橋渡しになる可能性があります。

個別化医療やプレシジョンメディシン(PM)は、患者に合わせて適切な薬剤が適切な用量で適切なタイミングに投与されることをめざしています。PMでは、コンパニオン診断(生化学アッセイが一般的)により、臨床試験用に患者を層別化するか、特異的治療法への適合性を判定します。米国食品医薬品局によれば、コンパニオン診断では、「対応する治療薬や生物由来物質を安全かつ効果的に使用するうえで不可欠な情報」が得られます。3D細胞培養全般、特に組織チップは、層別化の精度を向上させて、特異的な安全性、有効性、臓器間反応を取り込める可能性があります。複数のin vitro臓器系からの複数のリードアウトも加えると、組織チップで個別化の別の面にも同時に対処できます。つまり、明白な感受性を持っていても病気になる患者もいれば、そうでない患者もいる現象の解明につながるのです。

スフェロイドは、例えば腫瘍生検、胚様体、肝細胞、神経組織、乳腺など、ほぼすべての組織に由来する細胞の単純な集合体(細胞塊)です。スフェロイドは、細胞間の引力や接着によって自己凝集する現象を利用するため、特別なスキャフォールド(足場)や操作が必要ありません。ただし、スフェロイドは増殖することがないため、その製造性や大規模スクリーニングの有効性、バッチ間の一貫性は制限されます。

一方、オルガノイドは、胃、肝臓、膀胱その他の臓器から採取した単一の臓器特異的幹細胞または前駆細胞に由来します。細胞外足場内で培養し、適切な培地と増殖因子が与えられた場合、シード細胞が分化して、生体組織で一般的に見られるあらゆる細胞タイプになり、自己組織化して使用可能な構造となります。

組織チップ

「組織チップ」と「臓器チップ」という用語は同じ意味で使われることが少なくありませんが、実は明確な違いがあります。臓器チップは、制御された動的微小環境を持つマイクロ流体システムであり、培養細胞が臓器レベルの生理機能を模倣します。

臓器チップは、通常、1種類または2種類の細胞タイプをポリマーマイクロ流体デバイスで培養するもので、臓器の特定の1機能を模倣します。一方、組織チップは、組織工学の分野で好まれて使われる用語で、もう少し大きく、高度な操作が行われます。組織チップは、細胞構成成分を個々に用意し、生理学的比率で組み合わせ、必要に応じて微小環境レベルで生物模倣技術を取り入れて構築します。組織チップはマイクロ流体技術で複数のin vitro臓器・組織モデルを結合する一方、こうした機能単位は独立していて、臓器チップ(やオルガノイド)で個別に使用することも可能です。組織チップは、臓器チップやオルガノイドと比べるとより複雑なこともあって、テストプラットフォームとしてはスループットが低めになるものの、生理学的な関連性は高まるはずです。

組織チップは、患者から採取した多能性幹細胞由来のため、患者特異的であり、当然のことながら種特異的でもある完全なヒトモデルです。組織チップは、生理学的関連性の高いリードアウトが得られるため、疾患モニタリング、薬剤応答、個別化医療に活かすことができます。

他のヒト由来セルベースアッセイ同様に、組織チップは十分に検証された動物毒性モデルを補完するものですが、先進的な3Dオルガノイドとは異なり、構成細胞によって機能は限られます。組織本来の微小環境で典型的に見られる他の細胞タイプや物理的・力学的制約が加わるような機能が追加されると、生物学関連性の高いシグナルが発生し組織の成熟が促されます。さらにマイクロ流体技術を導入すれば、同一投与量など、生理学的な条件下で複数の臓器機能の実験が可能になります。

培養ディッシュ上で患者を再現する「Patient-in-a-dish」とは、チップ上で臓器系同士を相互接続して組織間の情報伝達を可能にしたもので、個々の「臓器」が同時に同じ刺激を同程度に受けます。「Patient-in-a-dish」システムで、疾患進行や薬剤応答に関するあらゆる特性が得られるように設計できれば、臓器に多様な影響を及ぼしたり、治療段階や病状によって異なる影響を及ぼしたりする全身性疾患の研究促進につながります。また、追加の因子を組み込むことも可能です。例えば、感染症に対して免疫を与える免疫系細胞や、炎症で疾患を悪化させる免疫系細胞などです。炎症は、がん、心疾患、関節炎、ウイルス感染症をはじめ、他の多くの疾患で既知の因子となっています。特にこうした全身性疾患は、in vitroモデルや動物モデルでは研究が難しく、このようなチップを利用した技術の発展によって多大なメリットがもたらされます。

組織チップの作製

組織の生理学的状態を再現するためには、正しい細胞がそれぞれ適切な比率になっていなければ機能しません。しかも正しく機能する臓器ユニットへの自己組織化を誘発する培養条件を整える一方、細胞の成熟を促進して適切な表現型を実現することも不可欠です。

例えば、心臓には、心筋細胞や線維芽細胞、内皮細胞、常在性マクロファージなど、さまざまな細胞タイプが特異的な比率で、高密度に緊張状態で密集しています。刺激に対する心臓の反応は、心臓の力学による影響を受けるため、心臓組織チップにもこの緊張を取り込む必要があります。電極を埋入してペースメーカー細胞の作用を模倣することにより、心臓組織チップがヒト心筋で見られる強度と心拍数で拍動するように「トレーニング」できます。

同様に、骨組織チップは、関連する骨細胞だけでなく、強固なスキャフォールドのほか、持ち上げや歩行など通常活動中に骨細胞が受ける力学的荷重も取り込みます。

パズルを完成させる最後のピースが細胞成熟です。患者の分化した前駆細胞から採取した細胞は「未成熟」のため、成熟細胞の特性を欠いており、疾患のトリガーに対して脆弱になります。とはいえ、研究中に成熟化を何十年も待つわけにはいかないため、私たちのプロトコールでは、迅速、確実に細胞を成熟化させるための培養条件を定めています。

移植用臓器のバイオエンジニアリングの取り組みを通じて明らかになってきたように、適切に機能する血管系をex vivo組織に供給することは容易ではありません。例えば、同じ組織チップ上に大きなチャネルと発芽型微小血管系を生み出す技術力はまだありません。私たちのデバイスは、大きなマイクロ流体技術による「動脈」が組み込まれていて、ここで血管新生によって微小血管系が形成されます。

微小血管系を含め、組織チップのあらゆる細胞成分が単一の患者由来の前駆細胞から形成できるため、患者特異的モデルとなる点は強調したいです。それが個別化医療のゴールを達成することに繋がります。

関心を集める理由

浮遊細胞から2D培養、3D培養、さらには「Patient in a dish」システムまで、セルベースアッセイの採用は、軽い気持ちで手を出せるものではありません。どのステップでも実験や最適化、そして最も重要な検証作業が必要であり、いずれも中核事業からそれなりのリソースを確保することになります。しかし、さまざまな面でその努力は報われます。

2D接着細胞培養では欠けてしまいがちな生物学的関連性が高い点が第1の利点です。in vivo系と比較した場合、3D培養された細胞が分化し、由来組織に類似したレベルと方法で代謝産物を生成するため、2D培養よりもはるかに忠実であることはわかっています。したがって、スフェロイドやオルガノイドを利用した3D疾患モデルのほうが、薬剤スクリーニングや疾患モデル構築で極めて重要な相互作用をより忠実に再現します。細胞増殖や遺伝子・タンパク質発現、薬剤耐性に関しても同様の優位性が得られます。

単純な3D培養から臓器チップ、さらには患者の生体システムをチップ上で再現する「患者チップ」へと複雑度が高まれば、マルチアッセイならではの優位性はさらに高まります。特に、複数の細胞タイプ(臓器チップ)、あるいは複数の臓器系(ヒトチップ)を対象に、同一実験で同時に同一刺激を与えて反応結果を取得できる点は大きな利点です。かつてこのようなデータを入手するには、いくつもの動物実験やセルベースアッセイが必要でした。さらに、人工多能性幹細胞(iPS細胞)技術のおかげで、遺伝子シグネチャーが同一の複数細胞タイプからなる臓器チップや患者チップの作製が可能です。

その結果、生物学的関連性の向上とマルチアッセイにより、ある細胞内コンパートメントでの細胞死や別のコンパートメントでの薬剤取り込みなど、どちらかといえば微妙な反応でも定量化できるように設計したセルベースアッセイのプラットフォームが実現します。また、3D細胞培養系はもちろん、患者チップさえも、ひとたびデザインと検証が完了すれば、試薬並みに一貫性を持って量産化することも可能です。その結果として共同研究が促進され、ライフサイエンスにおける再現不可能性の問題も緩和されるはずです。

終わりに

当グループでは、NIHおよびNCATS組織チッププログラムの一環として、こうしたゴールに向かって積極的に取り組んでいます。薬物毒性や疾患有効性のスクリーニングの正確性向上をめざし、一連の技術の高度化に総力をあげて取り組む中、当グループでは、統合的な組織チップモデルの予測能力を発揮し、患者特異的な応答を再現することに注力しています。私たちは、バイオエンジニアリング技術を生かし、ミリメートルスケールの多組織(心臓、肝臓、骨、皮膚、血管系)プラットフォームを開発し、ここでカスタム設計のチャンバーで個々の組織が成熟し、マイクロ流体技術による血管内灌流で結合されています。個々の組織は、in vivoの生物学的微小環境の模倣を目的にデザインされたさまざまな方法で形成されます。例えば、肝組織は、3Dスフェロイドで肝細胞と線維芽細胞を結合することで作製されます。これは、Corning 超低接着(ULA)表面マイクロプレートで実現し、さらに生物模倣型の3Dハイドロゲルに結合できます。皮膚組織は、一連の細胞をハイドロゲル内に被包し、Corning Transwellメンブレンなど、パーミアブルインサート上で培養することにより形成されるため、皮膚組織を気液界面に露出して成熟させ重層化できます。細胞の自然環境の再現性を高めるため、やはり灌流を用いてマクロファージを導入しました。エンジニアリング的手法を用いれば、こうしたシステムの生物学的整合性が長期的に維持されるように複数の組織チップを結合できます。患者特異性を配慮して、すべての細胞を患者由来の単一iPS細胞から得ることが可能です。このモデルでは、組織が相互に結合することにより、臨床的に観察される薬剤応答の予測精度が高まり、患者の疾患の全身性モデルになります。全体的に見れば、私たちは組織チップ技術の可能性や個別化医療発展への有用性について、ようやく手応えを感じ始めたところです。

マイクロ流体技術、3D細胞培養、患者特異性・種特異性を生かした最新の組織チップモデルであれば、動物モデル、セルベースアッセイ、臨床試験のそれぞれで観察される薬剤の安全性や有効性の矛盾が解消されるため、創薬の迅速化につながります。したがって、組織チップは、臨床開発の入口と出口の双方で、in vivo試験の代替となる独自性を備えています。最初期となる前臨床や第1相試験の段階は、最終的な創薬失敗も覚悟される段階ですが、組織チップであれば、この段階から臓器機能性と種特異性を兼ね備えています。一方、第3相試験と市販後調査の段階では、治験での患者層別化や複数の臓器系での有効性・毒性予測に役立ちます。

組織チップは、ヒト様のex vivoモデルに関わるあらゆる問題を解決できるわけではありません。スフェロイドとは違い、組織チップはいわば「臓器」単位で特定機能のリードアウトが再現可能なため、多機能アッセイには、チップを追加することで、再現されていない機能を付与できるデザインにする必要があります。もう1つ肝に銘じておきたいのは、複雑さは諸刃の剣だという点です。モデルに組み込む機能が増えれば、その準備にかかる手間も大きくなり、十分な量での頑強性、信頼性、作製可能性を立証できる可能性が低下するため、結局、検証作業に手間取ることになります。

第21巻4号(2020年秋)

Kacey Ronaldson-Bouchard博士:米国コロンビア大学バイオメディカルエンジニアリング学部アソシエートリサーチサイエンティスト。研究の焦点はiPS細胞由来心筋細胞の高度な成熟化による成熟機能心臓微小組織の培養など、多能性幹細胞由来の多細胞系培養。現在の関心領域は、個別化医療実現のための患者アバターモデル開発に向けた、複数培養組織モデルの統合による臓器間相互作用の研究。Nature、Cell Stem Cell、Cellなどの学術誌で論文を発表しているほか、創薬、試験、精密医療循環器学のための高度心臓モデル培養を専門に手がけるスタートアップ企業、TARA Biosystems(ニューヨークシティ)の共同創業者でもあります。

参考文献

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